占いを否定する作法

占い情報発信blog : 大久保占い日記

 占いのホームページやチャットルームを主催していると、時々「占いなんて嘘っぱちだ!占いなんてやめろ!」と挑みかかってくる方が出てきます。
 「占い」を否定するのも嫌うのも、それを他人に言うのも悪いとは思わないのですが、残念ながらこういった手合いは無視させて頂いています。
 なぜなら「占いを無条件で否定する」というのは「占いを無条件で盲信する」のと何も変わらないからです。もっと言えば、根拠もなしに否定(肯定)を強要してくる人間と会話して、何か得るモノがあるとは思えないんですね。

 私みたいな一知半解の占いファンは

 「占いがどうして当たるのか解らないし、それは本当に占いが当たっているのかも怪しい。でもツールとして使えると感じている以上、精度を向上させようとするのは当然のことだ」

 というゆる~いスタンスで生きてますので、「○○から○○だと思うから占いは嘘だと思う」といった理論的な占い批判は逆に面白く感じるのです。私の知恵では反論できないので、単に教科書的に説を拝聴するのみですが、そういう話は面白いと感じるので大歓迎です。是非お寄せ下さい。

 ただ残念ながら、そういった手順を踏んで話しかけてくる占い否定者は皆無ですし、どうも議論をふっかける意図が「占いファンを傷つけるため」であるとしか思えない方ばかりで、残念に思います。それを指摘するのも無益なので、いっそ無視させて頂いているわけです。

 占い好きの側は必死で統計を取ろうとしたりしてますが(コラーストロムの実験の話は私でも知ってます)、否定する側にもそれくらいの根性というか作法がないと、結局お互いに対する憎悪が増すだけだと思うのですが、いかがでしょうか(´`)。



2005年03月05日

書いた人 田中 :

最新10件のエントリー

« 占いの本を更新 | トップへ | インド占星術 »


トラックバック情報

このエントリーのトラックバックURLは:
http://www.fortunetelling.jp/blog/mt-tb.cgi/6
です。

この日記へのコメント:

 田中さん、ご無沙汰しております

話を純粋な卜占に限定しますが、占い好きvs否定派の論争は、たとえどれだけ理論的な装いをまとっていようと、また客観的証拠を基礎として話を進めていようと、何ら生産的な決着を見ない - 不毛なバトルに終始すると、それこそ理論的に結論できると思います。

加藤大岳氏が「易の価値を信じない人に、当るものだ・有用な道具だということをどうやったら判らせることができるだろう」と懸命に考え続け、到達したのが「鯛の刺身」だったのです。
その栄養学的成分については客観的に知れるし、故にこういう味を呈するのだ、とは言えても、「美味い!」ということは実際に食べた者しか判らない、というわけです。

パソ通時代は仲間内でゴソゴソと話し合っていればすんだのに、ネットが普及した今では、出合うべきでない人同士まで一つの場に参加できてしまうのが問題とも言えますね。

近頃の世界情勢と重ねてみても、人間には「よく判らない他種族を敵と見なし」・「敵に対しては根拠のない強い恐怖と憎悪を感じ」・「相手を滅ぼすまで攻撃の手を緩めない」というプログラムが備わっているようで、「人間存在」とは自分で思っているほど賢いものではないな - との悲観主義に陥らざるを得ません。

書いた人 玄珠 : 2005年03月09日 12:20

玄珠先生、どうもご無沙汰しております~

 そうですね、個人的には決着がつかなくてもいいので、お互い「真剣に勉強してるんだ」「真剣に批判してるんだ」という事実を紳士的に再確認できるだけでも、ある程度は建設的な前進なんじゃないかと思っています。
 私が見聞きしてきたゴタゴタは「新興宗教の信者VS魔女狩り」風のヒステリックなものが多く、(そんなものが通用するのかは別として)科学なり理論なりが導入されることで「お前ん家の塀がうちの土地にハミ出てんだよ!」程度のスジがあるケンカにレベルアップできれば、それはそれで大きな一歩だと思うのです。

 融和なり相互理解なりは無理としても、建設的別離というものがあってもいいですよね。石油なり土地なりが絡んだ現実の戦争や、自分たちの明日が懸かった政治の論争と違って、広大なネットにはお互いの居場所がある筈なんですが…。

 ただ残念なことに、我々「占い好き」の遠い不出来な親戚が、霊だ印鑑だと人を脅してカネを巻き上げている現状は、ある意味戦争と似たようなものなのかもしれません。だとすると黒門先生のメディア登場は、まさしく救世主―になるかもなあと思うことしきりです。

書いた人 田中 : 2005年03月09日 22:40

> 「真剣に勉強してるんだ」「真剣に批判してるんだ」という
> 事実を紳士的に再確認
そうですね、それが理想的とさえ言えますが …
「相互理解」よりも先ず「相互不理解の認識を!」と主張したいものです。大抵人間はそんな賢者でも紳士でもないけれど。
> 私が見聞きしてきたゴタゴタは「新興宗教の信者VS魔女狩り」
> 風のヒステリックなものが多く
どうしてもそうなってしまいますよね。一般的にバトルというものは言いがかりの応酬ばかりだし … 傍目から眺めると。
> 建設的別離というものがあってもいいですよね。
> (中略)
> 広大なネットにはお互いの居場所がある筈
反面、「匿名のまま」・「手軽にワンクリックで」大抵のところに立ち寄れるネットの世界の危うさが災いしているわけです。
> 科学なり理論なりが導入されることで「お前ん家の塀がうちの
> 土地にハミ出てんだよ!」程度のスジがあるケンカに
> レベルアップできれば
それが科学にはできない、というのが熟考した上での結論というわけです(理由は省略しましたが)。
おまけに - 日本では忘れられがちだけど - 西洋思想の中で発生し培われてきた「科学的合理主義」には、自分が認められないものを徹底的に排除・破壊するという不寛容な一面を最初から持っているのですね。

書いた人 玄珠 : 2005年03月11日 19:13

 やっぱり考えていくと「残念ながら人間そんな寛容でも上等でもないぞ」ってな結論になりますね。
 あちこちに行けるネットですが、気に入らないなら帰ればよい…という程度のことが出来ない状態で、アクセス性だけが向上している現状というのは不安なものがあります。ネットだけでなく、これは現実世界も同じなんでしょうね。

書いた人 田中 : 2005年03月15日 23:49

お久しぶりです。

占いを理屈も用意せず否定してくる人って、結局、暇なんちゃいます?
暇やから、他人のことばっかり気になるのやと思います。
自分の人生を一生懸命生きるのに必死になっとたら、自分にかかわりのないことなんて気にもならへんもんです。

それをいちいち言うてくるって、私もそんな奴無視やわ。
相手する価値なし。
占いは、必要な人が必要なときに利用するもん、やと私は考えてます。
猫も杓子もやる必要もないし、かといって特別否定する必要もなしのやし、そんないちいち騒ぎ立てるほどのもんとちゃいますやんね?

幸い私のブログには、そんなこと言うて来る人はおりませんけど、ま、それは、私がまだ有名じゃないからなんか、日記で言いたい放題書いてるから、関わったらややこしいと思われてるだけなんか、わかりませんけどね~ハハハハ・・・(汗)

書いた人 武村碧海(たけむらあおみ) : 2005年03月21日 23:36

そうですね。
占いが憎い、占いに恨みがある…という理由で挑んでくる人はともかく、ヒマだからケンカ売ってみよう!程度の手合いはそもそも面倒で相手できませんね。まさしく理論以前です。
武村さんのところにもそのうち挑戦者が現れると思いますので、是非ズバッと斬ってやってください。あと、うちのページに現れるクレーマーで目立つのは「掲示板に書いたのにどうして鑑定してくれないんですか!」と騒ぐ人や、何も言わずに「鑑定してください」と生年月日をメールしてくる人ですね。
残念ながら、こちらも無視させて頂いています。

書いた人 田中 : 2005年03月23日 02:56

メッセージをどうぞ。




情報を保存しますか(次回から入力の手間が省けます)